古代の誰かのお墓である古墳は、多くの場合、柵や水濠越しに「見るだけ」という制限がついていますが、なかには墳頂部や墳丘に上ったり、草の上に寝転んだり、おにぎりを食べたりできる、“楽しめる古墳”があります。本記事では奈良県の“楽しめる古墳”をラインナップ。古墳を身近に感じにお出かけしませんか。
①新沢千塚古墳群公園(橿原市)
その名称のとおり、とはいきませんが、4世紀終わり頃から6世紀終わり頃までの約200年間に造られた約600基の古墳が集まっています。古墳時代、誰もが死後に古墳をつくってもらえたはずはなく、古墳に埋葬された人はきっとそれなりの有力者だったはずです。そんな古墳がなぜここに結集しているのか想像してみるのも一興です。
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1976年に国史跡に指定され、現在は公園に。雑木林を駆け抜け、小ぶりな古墳を上ったり下りたり、レジャーシートを広げてお弁当を食べたり。本物の古墳があるところで遊べる体験は、ここでしか作れない思い出になります。
②三陵墓古墳群史跡公園(奈良市)
直径約40m、高さ約5m、墳頂部の直径約16mの大型円墳[西古墳]、墳丘長約110m、後円部径約72m、前方部長約39m、前方部幅約50mの規模を誇る前方後円墳[東古墳]、直径約16mの円墳[南古墳]の三基の古墳で構成された古墳群です。いずれの古墳も墳頂部に立つことができ、周辺の田園や山並みの眺望が広がります。

公園は芝生広場や散策路、桜、ツツジの花々などが四季を彩る、憩い古墳スポットです。奈良県指定史跡。
③黒塚古墳(天理市)
全長約134m、後円部直径約74m、高さ約14mの前方後円墳(3世紀後半ごろ)です。後円部ほぼ中央から見つかった竪穴式石室の棺外には三角縁神獣鏡が33面も置かれていました。この三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の国からもらい受けた鏡とする説があり、ロマンがかき立てられます。
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この古墳は後円部の上を歩くことができます。そこからは大和三山のうちの耳成山と畝傍山を遠望することもできます。古墳の東側には児童公園と天理市立黒塚古墳展示館(入館無料)があります。同館には、実物大に復元された竪穴式石室、画文帯神獣鏡1面と三角縁神獣鏡33面(いずれもレプリカ)などが展示されています。
④丸山古墳(橿原市)
古墳時代の最終盤、飛鳥時代への過渡期である6世紀後半頃に築造されたとされる巨大な前方後円墳。墳丘の全長は約330mで、奈良県最大&日本第6位の規模です。自然の丘陵を利用しており、かつあまりの巨大さに古くは全貌を正確に把握できず、後円部を指して「円墳」と考えられていた経緯から、実際は前方後円墳であるにも関わらず、「丸山」の名が付けられています。

後円部の柵内は陵墓参考地(欽明天皇?蘇我稲目?の論争あり)であるため立ち入りが制限されていますが、前方部や後円部の下部は自由に歩けます(ただし草むら)。前方部と後円部の接続部あたりから北を望むと、前方部の広い台地(前方部幅約210m)と、その向こうに畝傍山が形のいい山容を見せています。墳丘を上って歩けば、日本屈指の巨大古墳を実感することができます。
⑤ナガレ山古墳(河合町)
墳丘の長さ約105mの前方後円墳。前方部の最大幅は約71m、後円部の直径は約64mあります。前方部、後円部それぞれに埋葬施設が設けられ、円筒埴輪列と葺石もこの古墳を特徴づけています。
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平成初期の整備事業では、墳丘の東側に埴輪を並べ、葺石が敷かれました。西側は芝生を張り、築造時とその後の古墳の外観を想像しながら対比することができます。また、後円部の墳頂から南を向くと、前方部の形状がよく見て取れます。
築造は5世紀初めと推定。国史跡。
⑥三吉石塚古墳(広陵町)
径約41.4mの後円部に、小さな前方部が付いた帆立貝式古墳。墳丘の1段目を円筒埴輪と朝顔形埴輪の埴輪列がぐるりと囲み、墳頂部(2段目)には形象埴輪が置かれていました。復元後の現在は墳頂部にも円筒埴輪と朝顔形埴輪が並べてあります。

葺石も特徴的で、前方部の黒雲母花崗岩が当麻町西方から、後円部の輝石安山岩が香芝市の二上山麓で産出された石材を運んだものだといいます。そんなことがわかるなんて、考古学ってすごいですね。
現在は築造当時の姿を模して復元され、墳頂部に上ったり、古墳を周回したりできるように整備されています。二上山や葛城・金剛山系への見晴らしが良く、また、少し離れた場所からは1500年の時空を越えて出現した異世界の建造物に見えて、想像を楽しませてくれます。



