2026年は十二支でいうと「午」(うま)です。十干とあわせると「丙午」(ひのえうま)となります。
「丙」は、太陽・明るい・エネルギッシュ…などの意味を持ち、「午」は「馬」のことで、私たち人間とは歴史上とても長く深い親交のある動物です。
つまり、「勢いのある、エネルギーに満ちた活発な年」なのですが、これをネガティブにとらえたのか、かつて「丙午の女性は気性が激しく、夫は苦労する」というような迷信が広まりました。
このことから、前回、すなわち60年前の丙午である1966年(昭和41年)は「女の子が生まれると困る」という心理が働き、その年の出生数は前年より約50万人も少ない、約136万人にとどまりました。
(とはいえ、2024年の日本の出生数は1966年の半分の約68万6000人でした。)
重ねて書きますと、「丙午の女性は…」は“迷信”です。
午(馬)に対して、皆さんはどのような知識・印象をお持ちですか?
◎馬は基本的に前進する動物。後ろ歩きが苦手です。
◎農作業、運搬、旅のお伴、田畑の肥やし、オリンピック(馬術競技)…などなど、働き者です。
◎人馬一体という言葉がある通り、人間と深い親交があります。
◎丈夫です。宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ」を体現している動物です。
初詣に付きものの「絵馬」も、その由来は動物の馬にあります。
この記事内の丹生川上神社で紹介していますが、祭神に祈りや願いを捧げる際、馬を献上していたことが、絵馬の起源だとされているようです。
馬力に満ち、前向きに、エネルギッシュに突き進む1年になりますように。
そんな思いを込めて、奈良の馬にまつわる初詣スポットを紹介します。初詣の参考にしてください。
■信貴山朝護孫子寺(平群町)
馬に乗った聖徳太子

今からおよそ1400年前、寅年、寅日、寅の刻に、聖徳太子が当地で感得した毘沙門天王から、物部守屋との対立に必勝の秘法を授かり、勝利しました。太子によって「信ずべき貴ぶべき山」として命名された信貴山に建つ名刹です。
「寅」で有名な朝護孫子寺ですが、実は「馬」もいます。
赤門をくぐり、左手へ進むと「かやの木稲荷」が見えてきます。その朱色の鳥居の前に、馬にまたがった聖徳太子御像があるのです。
馬は聖徳太子の愛馬といわれる「黒駒」でしょうか。馬上の聖徳太子は、肩当て・腰当てをまとい、矢筒を背負って、左腰には刀を提げています。そして横笛を吹いているというお姿。なんとも、勇ましくも優雅な聖徳太子像です。
2026年の信貴山朝護孫子寺では、寅はもちろん、馬にもあやかれそうです。
〒636-0923 奈良県平群町信貴山2280-1
【モデルコース/奈良の名刹めぐり「信貴山朝護孫子寺」記事はこちら】
■橘寺(明日香村)
伝・聖徳太子生誕地。金色の寺紋をつけた黒駒像

橘寺は、聖徳太子が誕生し、幼少期を過ごしたとされる古刹です。太子建立七寺のひとつに数えられ、ご本尊として祀られているのは、太子35才の像(聖徳太子座像/国重要文化財)です。
そしてここでも聖徳太子と愛馬・黒駒は不可分の仲。本堂の前に立派なサイズの黒駒がりりしく立っています。横腹には寺紋「橘紋」が新年を寿ぐように金色に輝いています。
〒634-0142 奈良県明日香村橘532
■白山神社(三宅町)
太子道の聖徳太子と黒駒
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聖徳太子が斑鳩宮(斑鳩町)と飛鳥小墾田宮(明日香村)を行き来した古道は「太子道」と呼ばれています。その道を、聖徳太子は従者の調子麿が引く愛馬・黒駒にまたがって通ったこともあったでしょう。
三宅町屏風の白山神社(無人)には、黒駒に乗った聖徳太子と調子麿の銅像があります。
〒636-0217 奈良県三宅町屏風127
■丹生川上神社
人々が祈りをささげるために馬を献上した古社

ご祭神の罔象女神(みずはのめのかみ)は「水」を司る神です。古くは雨師の神として、人々はその加護にすがり、五穀の豊穣、特に日照り続きには降雨を、長雨の時には止雨を祈ってきました。
平安時代初期に編纂された史書『続日本紀』には、天平宝字7年(763)5月28日に「旱続きのため、幣帛を畿内四か国の神々に奉り、そのうち丹生川上には幣帛に加えて黒馬を奉った」と記されています。
大正時代には、丹生川上神社下社(奈良県下市町)と丹生川上神社上社(奈良県川上村)、そして中社とされていた当社の3社が一つの「官幣大社丹生川上神社」になりました。戦後、3社は独立し、当社は「丹生川上神社」と登記されました。
丹生川上神社は絵馬発祥の神社の一つと伝わります。それは、当社で雨乞いには黒馬を、雨止めには白馬あるいは赤馬が献上されてきたことに由来します。

また、午年の祈願を叶えてくれそうな授与品があります。初詣に行き、絵馬に一年の計や宿願を記したり、馬のかたちをした「うまくいく守(水晶、つげ)」や白馬・黒馬が描かれた「丹生錦守」を求めたり、馬にゆかりのある神社のご加護を授かりましょう。
〒633-2431 奈良県東吉野村大字小968
■新薬師寺(奈良市)
午年の守護神に会えます!

光明皇后が夫である聖武天皇の病気平癒を願って、天平19年(747年)に創建した古刹です。
奈良時代作のご本尊・薬師如来坐像(国宝)を十二神将立像(国宝)が円陣を組んで護衛しています。
十二神将のうち、左手を腰に当て、右手に鉾を持つ、珊底羅(サンテラ)大将(奈良時代・国宝)が午年の守護神です。本堂入口を入ってすぐのところにいらっしゃいます。
国の指定名は「安底羅」(アンテラ)といいますが、新薬師寺では同名が申年の守護神(国指定名:伐折羅)につけられています。
また、ポーズは午の前の十二支、巳の守護神である因達羅(インダラ)大将にそっくりです。因達羅はかぶとをかぶっていますが、珊底羅はかぶっていません。
新薬師寺では、2026年1月8日(木)15:00~、ご本尊にすべての人々の罪を悔い改める薬師悔過の法要を営む「初薬師(修正会)」が行われます。
〒630-8301 奈良県奈良市高畑町1352
■往馬大社
「馬」が付く古社。馬の授与品いろいろ
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生駒山を神々が宿るご神体(神奈備)とする往馬大社。山の生命力を秘め、火を司る神様がお祀りされています。
毎年10月に行われる「火祭り」は勇壮かつ厳粛で、奈良県の無形民俗文化財として受け継がれています。
「馬」に関しては、天武天皇の御代に国内の馬などに病気が蔓延した際、往馬の神のお告げに従い、あおうま(白馬)を曳き並べると、邪気が払われ、病気が治まっていきました―という話が残されています。
白馬はそうそういませんから、これを機に、白馬の代わりに神社に奉納されるようになったのが絵馬であるという「往馬大社が絵馬発祥の地」説も伝承されています。
往馬大社では授与品も楽しみのひとつ。「馬」の文字が入った各種お札のほか、馬に関するものでは、赤地あるいは黒地に白馬が跳ねる「勝守」、馬形の「白馬絵馬」、みくじの紙を馬の形に折った「白馬みくじ」、張り子の「はりこ馬みくじ」があります。
〒630-0222 奈良県生駒市壱分町1527-1
