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桜井魚市場跡

街道の片側だけに立つアーケード屋根は江戸時代~明治時代に賑わった魚市場の名残です。
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JR・近鉄桜井駅の南側は各方面に通じる街道筋の交差点。そのうち、多武峰(とうのみね)街道を進むと、二階建て住居ほどの高さのアーケード屋根が道路の片側にだけ立つ場所に出ます。長さは約35m。道路の反対側に「舊跡(きゅうせき) 櫻井魚市場」と彫られた石碑。そう、ここはかつてあった魚市場の名残です。

 

『桜井市史』に「桜井は魚青物市場、特に魚市場として古くから知られる。」とあり、貝原益軒『和州巡覧記』で市の存在が記されていることから、その起源は江戸時代中期に始まるだろうとされています。

 

桜井の魚市場は毎月6回開かれ、紀伊半島の牟婁郡紀北町あたりから、サバ、サゴシ(サワラの幼魚)、スルメなどが高見峠(奈良県東吉野村・三重県松阪市飯高町)を越えて運ばれました。特にサバは山越しの間に塩が効いて風味が増し、“熊野鯖”として称賛されました。

 

やがて鉄道が敷かれると、商圏・商材・流通が大きく変わり、魚市場で栄えた桜井の形相も次第に今日に通じる木材業へと移り変わっていきました。現存するアーケード屋根の下で、魚と人が行き交った往時を想像してみてください。

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