| 所要時間 | 6~7時間 |
|---|---|
| 移動手段 | バス、徒歩 |
スタート
1 飛鳥寺跡
(写真手前が跡地。奥は「飛鳥寺」)
日本に仏教が伝来してからおよそ半世紀が経った6世紀最終盤の596年、飛鳥の地に日本で初めて金堂、講堂、塔、回廊をそろえた本格的な伽藍を持つ仏教寺院が建てられました。それが、飛鳥寺です。中金堂基壇や釈迦如来坐像(飛鳥大仏)の土壇などのほか、地下には寺院の遺構・遺物が良好な状態で埋蔵されています。
仏教寺院が造営されたという事象に加え、それに必要な経典、そこに書かれた漢字、土木・建築・測量・造瓦の技術なども中国や朝鮮半島から伝わり、それらが日本の国づくりの基礎になっていったのです。
徒歩約10分
2 飛鳥宮跡
飛鳥宮は推古天皇を継いだ舒明天皇により「岡本宮」として造営されました。
当時は天皇の代替わりごとに宮殿の場所が変えられましたが、岡本宮は、板蓋宮(皇極天皇)、後岡本宮(斉明天皇※皇極天皇が重祚)、浄御原宮(天武天皇・持統天皇)と計4時期にわたり、天皇の宮殿が置かれました。
「飛鳥宮跡」として史跡に指定。645年の乙巳の変で中大兄皇子(のちの天智天皇)らが蘇我入鹿を討伐した等、古代史に残る出来事の舞台になりました。
徒歩約10分
3 川原寺跡
(左奥は川原寺跡 弘福寺)
創建年代は不明ですが、『日本書紀』天武天皇2年3月の条に川原寺で経を写すという記述があること、伽藍配置や瓦の文様が天智天皇の関連する寺と類似することから、天智天皇の治世(662年~671年)に、天智天皇と弟・天武天皇の母である斉明天皇の冥福を祈って建てられたと考えられています。大官大寺、薬師寺、飛鳥寺とともに四大寺に数えられ、官寺(国家寺院)として扱われました。
昭和32・33年の発掘調査で、中金堂(現弘福寺の立地)の前には、東に塔、西に西金堂が建ち、中門から回廊がこれらを囲むように中金堂へとつながっていたことがわかりました。
現在は、弘福寺境内にあるメノウ(白大理石)の礎石と、公園化された跡地の建物復元基壇が当時の様子を物語ります。
徒歩約3分
4 橘寺跡
(奥は、橘寺)
7世紀前期に建てられた尼寺の跡です。川原寺跡の南隣にあり、現在は「聖徳皇太子御誕生所」の石碑が立つあたりから、橘寺を望むことができます。
尼寺としての橘寺は日本最古級の尼寺とされ、中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ伽藍配置は、百済の影響を受けています。
徒歩約10分
5 石舞台古墳
飛鳥の古代遺産の代表格。一辺約50mの方墳の墳丘上部が失われ、横穴式石室の天井石が露出しているのが特徴です。
スケールの大きさから相当な権力者の墓であるとされ、一説には『日本書紀』に桃原墓として出てくる、蘇我馬子の墓ではないかと考えられています。
これほどの建造物が注目されなかったはずはなく、江戸時代にはすでに文化遺産の枠を越えて、観光名所として知られていました。
徒歩約30分
6 菖蒲池古墳
飛鳥宮跡などが所在する飛鳥盆地の西に横たわる甘樫丘の南斜面に築かれた墳墓です。
家形石棺が2基納められている古墳として知られ、それぞれの被葬者は謎に包まれたままです。
石室部分が国史跡に指定されたのは、昭和2(1927)年のこと。現在は石室エリアを守るかのように建屋があり、鍵付きの小さな窓を開けると、格子越しに石室や石棺を見学することができます。
徒歩約10分
7 天武・持統天皇陵古墳(野口王墓古墳)
天武天皇と、その皇后で天武天皇の後を継いだ持統天皇が合葬された陵墓で、1881(明治14)年2月に治定されました。飛鳥時代の天皇陵にのみ許されたといわれる八角形の墳形をしています。
天武・持統天皇が造営を計画した藤原京の中軸・朱雀大路の真南に位置し、藤原京の宮殿とこの墳墓の造営が一体的にとらえられていたことが見て取れます。
徒歩約35分(道中桧隈寺跡などあり/国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区)
8 キトラ古墳
7世紀後半~8世紀初頭に築造された円墳です。昭和58年の調査で石室内の極彩色壁画が発見され、高松塚古墳に続く国内2例目の壁画古墳であることが確認されました。壁画は、四神、十二支、天文図、日月の4種類あり、天文図は中国で観測された星空だということです。
石室内からは被葬者の人骨と歯牙が見つかり、分析の結果、50~60代の男性ひとりが埋葬されていたことがわかっています。
「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」には、地階に原寸大石室模型や高精細映像などの展示、1階にキトラ古墳壁画の実物を期間限定で公開する文化庁キトラ古墳壁画保存管理施設があります。
徒歩約25分
9 高松塚古墳
高松塚古墳は7世紀末から8世紀初頭にかけて築かれた二段式の円墳です。高さ約5mですが、公園内の坂の下から見上げると、そびえる姿が堂々としています。
1972年の調査で見つかった極彩色壁画(国宝)には、人物群像や四神、星宿図(星座)が描かれ、中でも石室の西壁に描かれた女子群像は「飛鳥美人」として有名です。見つかった当時は、日本考古学史上トップクラスの大発見と騒がれ、社会的なセンセーションを巻き起こしました。
そんな、きらびやかな壁画に見守られて眠っていた被葬者が誰なのか、残念ながら特定されていません。
近接する高松塚壁画館には、高松塚古墳壁画に関する資料(壁画模写など)、模型、副葬品の複製などが展示されています。
徒歩約29分
10 牽牛子塚(けんごしづか)古墳
八角形が特徴的な古墳。全国的に珍しい形状で、飛鳥時代の天皇にのみ許された形です。中国の思想(特に宇宙観)に基づきつつも、天皇を頂点にした中央集権国家の確立を目指していた当時の日本で独自に生み出されました。
2022年に復元整備が完了し、八角形がより鮮明に見て取れるようになりました。また、古墳よりも高い場所から眺めると、「あさがおづか」の別名に納得がいきます。
石槨(棺を納める部屋)は、巨大な一つの岩をくりぬいてつくられ、左右2室あります。被葬者は斉明天皇とその娘・間人皇女(はしひとのひめみこ)とする説が有力です。
徒歩約12分
11 近鉄飛鳥駅
ゴールお疲れ様でした!







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