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世界遺産へ!「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」を巡る半日コース

6世紀末~8世紀初め、のちに飛鳥時代と呼ばれるその時代、「飛鳥・藤原」エリアは当時の日本の政治や文化の中心地でした。同エリアは現在の橿原市、桜井市、明日香村にまたがり、「飛鳥・藤原の宮都」として、奈良県4件目の世界文化遺産登録を目指してきました。「飛鳥・藤原の宮都」を構成する資産は計19件で、「宮殿・官衙跡」「仏教寺院跡」「墳墓」に分類されています。現存する壮麗な建築や復元された宮殿などはありませんが、「日本」という国が基礎から成立していった過程を物語る資産をめぐるモデルコースの「半日編」です。

スタート

近鉄橿原神宮前駅からバス「飛鳥資料館」下車、徒歩約10分

1 山田寺跡

蘇我入鹿の従兄弟にあたる豪族・蘇我倉山田石川麻呂の発願で造営された氏寺の遺跡です。石川麻呂の孫である鸕野讃良皇女(後の持統天皇)の援助で、685年ごろに完成しました。

中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ伽藍配置を持っており、「丈六仏像」(薬師如来とされる)を安置していました。その頭部のみが現存し、「銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊)」として国宝に指定され、奈良市の興福寺国宝館で拝観(常設展示)することができます。

伽藍の多くは災害などにより失われましたが、倒壊した当時の状態で出土した東側回廊の建築部材は、奈良文化財研究所飛鳥資料館で常設展示されています。

 

〒633-0045 奈良県桜井市山田1258

2 飛鳥水落遺跡

飛鳥水落遺跡は、660年に造られた日本最古の漏刻(水時計)の遺跡です。

発掘調査の結果、濠に囲まれた石貼りの基壇とその上に建つ総柱建物、さらに基壇内部には木樋が走り、基壇中央には漆塗りの木箱が据えられていました。

最上段の給水槽から最下段の受水槽に水を流し、最下段の目盛りの上昇によって時間を観測したと考えられています。

珍しい構造を持ったこの漏刻は構造から唐伝来のものとされます。当時、時を支配することは、社会を統制・管理する上で強い政治性を持っていたと想像できます。

 

〒634-0103 奈良県高市郡明日香村飛鳥

3 大官大寺跡

藤原宮の東南の条坊内に建てられた国家寺院(官寺)の跡です。「飛鳥・藤原」エリアでは最大の寺院でした。

発掘調査では、講堂や回廊、中門などの遺構と伽藍の規模が明らかになりました。特に「九重塔」は国家的シンボルだったと考えられます。現在は香具山南麓で水田に囲まれ、九重塔や金堂の基壇跡がわずかに残り、往時の伽藍の様子をしのばせています。

710年の平城遷都に伴い、大官大寺も平城京へ移転され、平城京大安寺として現在も法灯を継いでいます。聖武天皇によって東大寺が建立されるまで、国家の筆頭寺院の地位にありました。

 

〒634-0102 奈良県高市郡明日香村

4 藤原宮跡

694年、持統天皇は飛鳥浄御原宮から藤原宮へ遷宮しました。そしてこの地でわが国は、東アジア各国=隋・唐(中国)、高句麗・新羅・百済(朝鮮)=との政治的・文化的交流を通じて、律令制度に基づいた中央集権国家として成立しました。

宮殿の周囲約5キロ四方には藤原京が広がり、藤原宮の南に仏教による鎮護国家を象徴する2つの官寺(大官大寺・本薬師寺)が置かれました。現在は、桜、ハス、コスモスなど四季折々の花々に彩られ、憩いのスポットにもなっています。

藤原京の構造は平城京や平安京の原型にもなり、平城京への遷都の際、主要な建物が解体されて運ばれました。一説には、平城宮大極殿も藤原宮から移築したものといわれています。

 

〒634-0072 奈良県橿原市醍醐町

5 本薬師寺跡

藤原京の条坊内に建立された国家寺院(官寺)の跡です。

天武天皇が創建に着手し、崩御後、皇后の持統天皇が遺志を継いで完成させました。創建当時は金堂や東西2つの塔があったとされ、現在でも金堂、東塔、西塔の基壇跡を見ることができます。

とりわけ、土盛り状の東西両塔の基壇跡のうち、東塔基壇上には塔の心礎と礎石が、西塔基壇上には心礎が良好に残されています。

現在では想像の域を出ませんが、中門、金堂、講堂が南北直線に並び、東西に並ぶ双塔式の伽藍は、奈良市の薬師寺に受け継がれています。

 

〒634-0033 奈良県橿原市城殿町

近鉄橿原神宮前駅

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